りんご農家の畑日記

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11月16日
5月に農業体験で我が家に
来てくれた吉原三中の
元気な男の子がりんごの
収穫体験に来てくれた。
一番喜んだのは
もも次郎かも。。。
再会を
楽しみにしているよ。

市田柿つくりに
あーこも挑戦

11月30日
僕の従兄弟が収穫の手伝い
に来てくれました。

12月2日のりんごの状態。
例年ですと
11月20日頃にはこれ位黄葉
しているのですが、
ずいぶんと遅れました。

12月26日
この日の朝、今年最後の
出荷がようやく終わり、
あーこと2人で
粘土遊び。
あーことの粘土遊びでかなり
癒されました。
12月28日(金)
子供達は今日から冬休み。長野県の学校における休日はずいぶん少ないらしい。夏休みだって全然長くないし、
冬休みもやたら短い。春休みが長いのかといえば全然そんなこともない。
来年は、うちだけ独自に休みの開始日を設定しようかな。

さて、今年も残すところあと4日。今年もずいぶん色々なことがあったなあと思います。残念ながらいいことばかりでは
なく、悪いことも結構あったし、どちらかといえば「厄年」だったのかなあと妻とは話しています。

今年一年を通じて一番感じたことは、本当に気候が温暖化傾向にあるということ。日常的に生活している分には
「夏がダラダラ暑いなあ」とか「秋の訪れが遅いかな」くらいのもかもしれないが、やはり農業というものに足を
踏み込んだ今では気候の変動にりんごの出来が大きく左右されるという事実に今更ながら愕然とさせられる。

今年のりんご栽培はまず、9月後半の残暑が本当に9月の最後の方までダラダラと続いた影響だと思うのだが、
僕にとって難しいものになりました。また、雨量自体は多くはないのですが、9月後半が気温が高く、雨の日も
多かったということで、病気の発生も招いてしまいました。
そして、収穫の時期になっても完熟したりんごが少ない。収穫したいんだけれど、収穫できないという状態に陥って
しまいました。とにかく、りんごが完熟してくるのを待つしかないということで、毎日毎日、畑を巡回して、りんごのお尻を
確認しては完熟してきたものから収穫していくいう「選り穫り」を最後までせざるを得なくなってしまいました。
昨年は12月6日に収穫が終了したのですが、今年は12月15日までかかってしまいました。

これは、本当に効率が悪く、たちまち予定より1週間から10日程収穫、出荷作業が遅れてしまいりんごを待っている
お客様から「りんごはまだか」という電話が多く、釈明に追われてしまいました。お待たせしたお客様、本当に申し訳
ございませんでした。改めてお詫び申し上げます。

さらに昨年は、ひよどり被害に泣きはしたが、りんごの味、出来についてはよかったといえると思います。少なくても、
昨年の収穫後、自分は少し自信を持てた。今年は、悪くはなかったが、いいりんごと出来が落ちるりんごの格差が
大きかった。そして、それを見分けるのが、とても難しかった。

お客様の評価も、最上級の評価を頂いた方もいれば、昨年と比べると今年は落ちますねという評価を伝えてくれた
方もいらっしゃった。どちらも、もちろんありがたい情報である。正直言って、収穫して出荷するとき今年ほど不安に
さいなまされた年はなかった。自分で、りんごを見たときにおいしそうにも見えるし、逆に外したほうがよさそうにも思える
そんなりんごが多かったです。

それでも、収穫しながらひたすら「来年はどういう作戦でいこうか」そればかり考えていました。
うまくいくかどうか分かりませんが、ひとつ、ふたつ自分なりに考えていることもあります。それらを
来年は試してみるつもりです。


来年は新規就農5年目になってくるが経営的に安定してきたかというと、まだまだである。なんとか農業で
飯は食っていけるであろうという目処はついて来たが、生産のための新規投資をひねり出すだけの余裕はまだない。
また、自分で「これがうちのりんごの味です」といえるようなりんごが作り出せるほど、技術がついてきたかと
いうとそれもない。自分ができることは、一番には畑にスピードスプレーヤー(農薬を散布する特殊な車両)を入れずに
畑の土を柔らかい状態に保つ。そういう条件を維持してあとはりんごの樹に頑張ってもらうということしか出来ないと
思っている。僕が一番自信を持っていることは、絶対にどのりんご農家さんの畑よりもうちの畑の土はフカフカだと
思います。(無農薬で、もちろんスピードスプレーヤーも使わない青森の木村さんの畑には負けると思いますが。。。)

それだけは絶対に続けて行きたい。それが出来なくなった時がりんご農家をやめるときだろうと収穫をしながら
決意しました。

従いまして、これ以上は畑の面積は増やせないし、収穫量を増やしていくためにはりんごの樹が大きくなっていくのを
辛抱強く待つしかないと思います。(なかなか大きくならないのですが。。。)
今までは、販路もゼロから構築していく必要があったので、値段も安めに設定して、「値段で勝負」みたいなところも
あったのですが、昨年、今年と味でも十分アピールできるりんごをりんごの樹がつけてくれるようになってきた、また、
農薬の使用量も天敵の活用、デンプンの使用等で慣行の防除よりも4割減ほど達成できているということもあり、
付加価値の面でも、アピールできるりんごになってきたと思います。

あとは、永続的にりんご生産というものが職業として成り立つものになるような収入が上がってくればいい状態だと
思いますので、先達の有機、減農薬りんご農家さんの値段設定も参考にして、来年はりんごの値段を再設定させて
いただきたいと考えております。今の段階では、商品A10キロで送料込6,200円程度に値上げさせていただきたいと
考えております。この程度の値段が最終的に私が目指していた価格帯です。

また、家庭用りんごである商品Bについては特に人気が高く、販売受付を始めて数日で予定数に達してしまう状態です。
こちらのほうも、優先的に「小関りんご農園サポーター」の皆さまに販売させていただきたいと考えております。
具体的には、サポーターの方、加えて過去サポーター(旧里親さま)だった方からの受注をいただき、その上で
出荷余力がある場合のみ販売するといった形を考えております。

中途半端ですが、また来年ゆっくりと上記の件については詳細をつめていきたいと思います。
今月は、26日にようやく最後の出荷が終わり、ただいま年末燃尽症候群気味です。

今年も多くの方のご声援を賜りました。本当に感謝しております。ご期待に添えた方も、添えなかった方もいろいろ
いらっしゃるとは思いますが、自分にできることは手を抜かずやり抜いた、これだけは言い切れます。未熟者ですが
今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

朝霧で冷たい朝のりんご
(11/14)

集熱する空間を造るために断
熱材をはめ込む区割りまで終
わりました。(11/14)
11月15日(木)
最近の一日の最低気温と最高気温の温度差は15度以上ある日が続いています。
朝は、天竜川を中心として朝霧が立ちこめ、とても寒いです。朝のりんごは、冷たい霧にさらされ、
びっしりと冷たい水滴に覆われています。素手で触るととても冷たい。凍える手を息で温めながら玉回しをしています。
このときの服装は、ジャケットまで羽おり、冬の服装。陽が段々高くなるにつれ、地上に立ち込めていた
霧も上昇気流に乗り上空へと昇っていきます。
するととたんに、青空がひろがり見る見るうちに気温が上がっていきます。とても、ジャケットなど着ていられず、
どんどん服を脱いでいって、昼頃にはTシャツ一枚になってしまいます。最高気温は18度くらい。
ちなみに最低気温は3度くらいです。

ただし、りんご農家からしてみると、これでも冷え込みはかなり足りません、。昨年はこの時期もう最低気温が
零度程度まで下がった日が2,3日はありましたが、今年はまだここまでありません。
下がっても、3度くらいまで。この状態は蜜入りが遅かった2004年の気温変化に似ていると、昨晩、過去の記録を
振かえっていてそう思いました。

今年のりんごの収穫は11月20日頃からと思っていましたが、上記のような理由で若干後ろにずれそうです。
りんごをお待ちの皆様、いましばらくお待ちくださいませ。。。

古家屋の修繕作業も、ボチボチ進んでいる。家屋の外側に、ちょうど締め切った自動車のような空間をつくり、
その空間で暖めた空気をダクトを通じて室内に送り込もうという計画です。材料は全て、ホームセンターで
手に入るようなものばかりです。
りんごの収穫前までに終わるかなあ。。。

りんご畑でりんごの妖精をま
た見つけちゃいました。(11/
5)
11月7日(水)
このところ、暖かい陽気が続いている。今日など日中は暑くてTシャツ一枚になりました。
最近の仕事はりんごの着色管理。玉回しをしたり、葉っぱをずらしたり。りんごの葉っぱもだいぶ黄葉が
進んでいるので、黄色くなり葉緑体が抜けた葉っぱは着色の邪魔になるようなら外す。

古家屋の修繕の方もだいぶ進み、なんとか人間が住めるところまでこぎつけてきた。
この家には、DIYで太陽熱で暖めた空気を室内に取り込む仕組みをつけたいと思っている。大体構想は
練れたので、あとは実践あるのみ。

りんごの実がちょうど良い
距離感で並んでいたので、
撮ってみました。(10/29)
10月29日(月)
27日に台風20号が太平洋沿岸をかすめていったが、幸いこちらには被害はなし。結構な量の雨は降りました。
朝焼けの妙高山(10/28) 戸隠奥社への参道(10/28) 紅葉の戸隠山(10/28) 29日の様子です。


昨日HPを更新したとき
この欄が空いていたので
たまにはまじめに仕事を
しているところも見てもらおうっ
つーことで普段はあまり

登場しない私めの写真も
載せてみました。

これだけ、葉っぱが密集
していると葉っぱを
掻き分けて玉回し
してやらないと
赤くなりません。

朝は気温6度程度。昼間は21
度くらいで朝昼の気温差が15
度くらいあります。(10/24)
10月22日(月)
秋といえば、昔は一番好きな季節であった。なんか、暑い夏が終わってホッとして、こう詩的な表現なんかが
ポッと口をついて出てきそうな。。。
最近では、子供が秋になると喘息の症状が出てくるので「あ〜、秋が来たなあ」と季節の変わり目を子供の喘息で
知るようになってきた。だから秋はちょっと憂鬱。。。

現在のりんご畑の状況をお知らせします。最近の朝の冷え込みは近年では早いほうである。最低気温が
3度台まで落ちてきています。また、一週間ほど最低気温が高めに戻り、その後霜が降りるくらいまで冷え込みが
来てくれればベストですがどうでしょうか。

りんごの枝と秋の雲。(10/23) 枝の内側のりんごも色づき始め
ました。(10/23)
早い枝では、黄葉が始まりまし
た。収穫の時期には黄葉して
いるくらいの樹勢がいいと僕は
考えています。(10/23)
りんごの株に本当にサルが腰
掛けられそうなサルノコシカケ
がくっついてました。この株もも
ちろんりんごはたくさん実ってま
す。

わずかですが蜜が
入り始めました。(10/17)
10月17日(水) 
現在のりんご畑の状況をお知らせします。
いよいよ、りんごがまるで染み出すかのごとく赤く染まってきました。

りんごの赤もきれいですが
葉っぱの緑も好きです。(10/
17)
おばあちゃんの樹。
樹齢は35,6年生位かと。(10/
17)
秋の空と
りんご畑と
もも次郎。(10/17)
午後から夜にかけて
古家屋で珪藻土塗り(10/17)

見事に赤くなったと思っても

回してみればこんな感じで
す。

失踪当日直前のもも
10月14日(日)
このところ朝晩の冷え込みはストーブが欲しいなあと思うくらいになってきた。
天気予報を見ていると来週あたりから最低気温が一桁になってくるらしい。
りんごの実も着色が進んでいるところは玉回しを始めてもいいくらいになってきたので、クルクル回してます。

ただ回すだけだと元に戻っちゃうやつもあるので、そういうのは葉っぱを少しずらしてあげたりして、とにかく
いままで葉っぱで隠れていて光があたらず着色が不十分のところを露出させてあげる。

ところで、10月10日から13日夜まで、実はもも次郎が畑から遁走してしまい、行方不明だったので
捜索に一日中あたっていたため何もできなかった。今回はつないでおいたリードごと脱走したので
どこかに、からまってしまい身動きがとれなくなっている可能性が高く、加えて全く目撃者もいなかったので
かなり焦った。

どこか藪の中でからまっていたら見つけられないかもしれないし、ワンとかニャンとか鳴いてくれればよいのだが
もも次郎は物静かな犬だ。鳴かない。こういうときぐらい鳴けっつーの。

とにかく、平日のまっ昼間から村内をウロウロと民家の敷地をじろじろと見てまわり、あるいは藪の中に侵入し、
時には道端でピタリと動きを止めて全神経を耳に集中して立ち尽くす。まさに挙動不審者そのもの。。。

しかし見つからない。リードがくっついているから絶対畑の近くにいるはずだと思っても、全く気配がない。
半ばあきらめ始めた13日の夜、何回か場所を変えて畑で耳を澄ましているとかすかに「キャン」と聞こえてきた。
「ピーピー」鼻を鳴らす音もかすかに聞こえてくる。声を頼りに真っ暗な畑を進んでいくと、でっかい穴の傍らに
いました。アホが。もしかしたら、落っこちていてやっとこさ出てきたのかもしれません。
とにかく、木の根っこみたいな物にからまって身動き取れない状態でした。

とにかくやれやれでした。13日の晩は妻と梅酒でささやかな祝杯をあげました。

サンドペーパーをかける
とりゃお

合板に糊を塗っていく妻

9割がた完成した天井
10月8日(月)
本日、昨日と家族総出で古家屋の手直し。子供達にもみっちりと手伝ってもらった。
7日は、主に台所、トイレ部分の天井貼り。大体9割程度まで終了しただろうか。
子供達には天井に張る板にサンドペーパーをかけてもらい、オイルフィニッシュを塗ってもらう。
その後ウェスで拭き取ってもらい、僕が丸ノコでカットして、それを下から渡してもらい貼っていく。
将来、子供達もトイレで用を足している時とかに天井を見上げて「ああ、これって俺が色塗ったんだんだよな〜」などと
しみじみ思ってくれるだろうか。

一方、妻には8日から壁に珪藻土を塗り始めるので、合板からアクが出てこないように、片栗粉で作った糊を
ローラーで塗ってもらう。アクが出てくるとせっかく塗った壁に茶色いシミが浮かんでくるそうなので、手間だが
やっといたほうがいいだろうと思って。こうすると多少は効果があるらしい。そして、砂壁もついでに塗り固めてもらう。
砂壁も「ぬりかべ〜」になってもらう。

とにかく、11月になったらりんごがいよいよ忙しくなる。その前に、柿の収穫、出荷もある。したがって、10月中が
勝負である。平日は昼は畑。夜は現場という2本立てでしばらく過ごしていこうと考えている。

8日は朝から強い雨だったが、珪藻土が朝自宅に届いたので早速おにぎりを握ってそれから現場に家族で急行。

「麻シート工法」といって壁にまず麻のシートを貼り付けて、その上から珪藻土を塗っていく。こうすると下地の処理が
不要だし、施工後のひび割れ等が少ないとの説明だった。そして何よりも、初心者にも塗りやすくなるとのふれ込み。

ところがどっこい、まず麻シートを貼るのに一苦労する。こんにゃくが原料の糊で貼っていくのだが、ずり落ちそうな
麻シートを釘で仮どめしながら何とか固定していく。
その後、珪藻土を塗りこんでいくのだが、塗るというより麻シートの目地に擦りこんでいく感じ。感覚をつかむまで
非常に苦労した。最初は子供達にも手伝ってもらっていたのだがちょっと難しいので僕と妻とで結局は塗っていく。
一日でようやく1坪分終了。意外にも時間がかかってしまった。
やっぱり壁を塗るのは簡単なことではないと実感。

もう少し赤くなったら玉回しを
開始します。

朝モヤ立ち込める
りんご畑と農道。これは
「明日への道だ」なんつって

これって、犬小屋の材料と
同じだよ。。。

ワトコオイル。なかなかよか。
10月6日(土)
やばっ。一ヶ月も更新しとらんかった。生きてます。ご安心ください。
10月4日の朝、巨峰を出荷し、やっと巨峰の出荷が終わった。長かった〜。早速その日は一日りんご畑へ。
まぶしい緑に心が休まる。「ああ、俺ってやっぱりりんご農家が本業だよな」としみじみと感じる。

9月はとにかくブドウ月間。りんごは草刈と防除以外ほとんど手を入れることが出来なかった。
ただ、今年はりんご畑のハダニに対する天敵の定着率がよく、殺ダニ剤を全く使用しないで夏を乗り切ることができた。
8月のお盆頃からハダニと天敵とのバランスがとれた状態になったらしく、ハダニが全くいないわけではないが
ほとんど問題にならない程度で落ち着いたのは本当に喜ばしいことだった。

ということで、ハダニは天敵に任せて、こちらはブドウに没頭。ただし、快調な没頭ではなく1年目ゆえのもがき
苦しむ没頭。やはり、摘粒の技術が未熟なため全ての房の粒が多すぎる状態であった。
感覚的には粒数は抑えて一粒をより大きくしたほうが味も良いような気がした。
しかし、畑の土のよさに助けられて購入していただいたお客様には好評だったのがせめてもの救い。
一年やってみて、改善点も見えてきました。来年はもっといいブドウを作ります。乞うご期待。

りんごのほうは、写真のような状況です。段々色づき始めてきましたが例年と比べると若干着色が遅れている
気がします。夏が暑すぎたからなあ。りんごも休眠状態だったと思います。

しかし、昨年のいまごろはカメムシ被害で泣く泣く被害果を落としていたことを思えば天国です。
今年はほとんどカメ被害はありません。現在はそういった被害を見越して最終着果量よりも少し大目に樹についている
のですが、あまり落とさなくても良い状態です。しかし、ここで欲をかいてりんごを残しすぎると品質の低下を
招きかねないので「欲に負けないように、欲に負けないように、欲に負けないように」自分に3べん言い聞かせてから
毎晩寝ることにします。

古民家の改修のほうは業者さんの工事が終わり、今度は僕の手に仕上がりが委ねられました。
外壁貼り、内部天井、壁、床の仕上げがセルフビルドの部分です。といっても、なかなか昼間時間はとれませんので
夜やってます。
今は天井貼りの最中。天井の材料も全然決めていなくて「何にしようか」と予算も無いし、思案していたところ
村内のコメリでワンバイフォー材が格安で売られているのを発見。これって、カインズホームでは
同じのが248円でコメリは167円ですよ。100枚で8000円以上違ってくるじゃないですか。何で同じ品物なのに
こんなに値段が違うんだ、もしかしてコメリは267円なのに167円と勘違いしてんじゃないの、だとしたら
勘違いに気付く前に買占めだ〜。ぜぇぜぇ。。。間違いではないみたいですが。。。

これに、ワトコオイルフィ二ッシュを塗る。通常2度塗りだが、天井だしめんどくさいし予算もないから1度塗りで
いいや。というおおざっぱさ。
これをウェスでふき取って、まあ、柿渋風あるいは焼杉風と言えなくもない風情になってきた。
もう少しで天井張り終わりますので、そうしたら写真をアップします。

それと、本日(10/6)「KURA]という長野県専門雑誌の取材を受けました。そのうち載るラシイ。

解体中

横から見ると結構赤い気も
しますが。。。

実際にはこんな風に
着色ムラがあります。
9月8日(土)
おっとほんの少し更新をさぼっていたと思ったら、だいぶ経っていた。

8月の盆明けころから、いよいよ古家屋の修繕、改築作業が始まった。
工事を請け負ってくれた業者さんの仕事が速くて丁寧で本当にありがたい。これも、僕が新規就農するに
あたって豊丘村で僕の里親になってくれた日下部さんに紹介していただいたおかげである。
右も左も、知人も縁も何もないところに移住してくる時、その地域のことを良く知っている方に里親としてバックアップして
もらえる制度はありがたい。長野県の「新規就農里親支援制度」は本当にいい制度だと思う。

9月に入って、ブドウの収穫が始まる。
ブドウは重量は軽いし、りんごより体的には楽なのだが、出荷が結構手間である。ブドウは脱粒しやすいので
どういう風に梱包しても箱の中に「ゴロッ」と入れるわけにはいかない。パックにつめてラップをかけたり、
あるいは薄い紙で包んだりといった一手間が必要になる。そのあたりで慣れていなかったので出荷初日は
ものすごい時間がかかり、夜中の2時過ぎまで梱包を行ったが終わらず、次の日の朝6時頃から梱包を再開し
9時ギリギリにJAの受け入れ所まで持っていった。先が思いやられる。。。


先日の台風9号は雨はたいしたことはなかったが、強風が吹きりんごの枝が折れるのではないか、りんごが落果する
のではないかとハラハラした。台風が通過していった7日に畑の見まわりに行くと、枝折れ等の被害はなかったが
畑のスプリンクラーが根元からボキッと折れていた。幸いなことにりんごの樹の上に直撃してくれなかったので
不幸中の幸いだった。

6日は、台風が来るということで大慌てで「つがる」の収穫を妻と二人で行った。僕のは畑ではつがるも葉っぱを
摘まないので実が赤く色づくのが他の畑より遅くて、つがるがたんまり残っている畑ははっきり言って周囲を見回しても
僕の畑だけだった。

怪しげな風が渦巻く中、獲れるだけのりんごを午前中に取り終えると雨が降ってきた。
午後はブドウの収穫。台風で外に出れない間の仕事を確保するため、ブドウも一日分の梱包量相当を収穫。
6日の夜は、工事中の古家屋で雨漏りがしてビショビショなんじゃないかとか、ブドウにかけた獣除けのネット袋が
飛んでいってしまったらどうしようとか、残したつがるが全て落ちてしまったらどうしようとか悶々と悩んで眠れないかと
おもったが連日のブドウ仕事で疲労困憊していたため、悩むまもなく深い眠りに落ちてしまい、朝起きたら晴れ間が
覗いていた。。。

豊丘村を流れる虻川上流。
こんないい淵がある。でも、め
ちゃくちゃ水が冷たい。

俺は冷たくて入れん。(8/7)

乗鞍高原に行く途中の奈川
渡ダムにて。ここにある梓川
テプコ館はお勧め。3Dシアタ
ーはあるし、何より無料で楽し
めるのが我が家のような金の
ない家にはありがたい。

8月7日とはまた違う
スポット。ここは小さな
子供でも安心な砂地で緩や
かな流れの場所です。(8/
10)

飯田で行われたピースライヴ
にいってきました。(8/19)

しいせんかっこよかったです。

昨年も行った家族で写生。
再びしらびそ高原にて、ここは
標高が1800メートル以上あっ
て下界とは別天地。風が気持
ちいい。(8/21)
8月23日(木)
やっと一息つけた。そんな感じの昨日と今日の雨でした。降水記録をつけているので過去のデータを
振り返ってみると50ミリ以上のまとまった雨が降ったのは7月30日以来です。

記憶が曖昧ですが、一日に畑の地表面から失われていく水分はたしか「降水量4ミリ」相当の量と聞いた気が
します。とすると一ヶ月最低でも120ミリ程度の降水量は必要というわけですが、8月に入ってから豊丘村の降水量は
25〜30ミリ程度です。昨日からの雨で50ミリ程度の降水量は確保出来たはずですので、8月末までにあと40ミリ程度は
最低限欲しいところです。ただし、最近の雨は降らないときには長期間降らず、降る時には「豪雨」といった感じで
降りますので、単純に一ヶ月何ミリ降ればOKというものでもありませんが。。。

僕が耕作しているブドウ畑、りんご畑はブドウ畑は水持ちの良い赤土で保水性は非常に良いのですが、灌水設備が
ないため雨が長期間降らない場合には貯めてある雨水をポンプで圃場に送り出して灌水します。
この夏は7月に1回。8月に1回雨の間隔が空いたのでそのタイミングで灌水しました。

りんご畑のほうは果樹団地内にあることからスプリンクラーが設置されているため、雨が一定期間降らない場合には
スプリンクラーが夜間稼動して灌水してくれます。このスプリンクラーがあるということは就農当初「スプリンクラーが
ある圃場を探そう」などとは特に意識していなかったのですが、今になってみるとその存在のありがたみが身に染みます。

個人的な感覚ですが年々夏が暑く、長くなる。しかも雨降りの間隔が開く「旱魃」気味の気候になってきていると
感じますのでもう「自然にまかせる」とは言ってられない状況のような気がします。雨が降らなければ人工的に作物に
雨を与える必要があり、そうでなければみずみずしい果物を作りあげていくのは難しい状況ではないか
という気すらしています。

8月は妻が船橋の病院で手術を受けるため、13日から1週間市原の実家に帰ることになっていた。そのため
その間農作業から離れていられるよう、12日まで追い込みで農作業に精を出していました。といっても、その内容は
防除と草刈なのですが、日中は暑くてとても仕事が出来ないので朝早起きして涼しい内に仕事をはじめ暑くなってくる
9時過ぎくらいに仕事をやめて風呂に入る。昼寝をしてまた15時か16時くらいから仕事を開始するという生活リズムで
毎日をまわしていました。

そんな中でも、午前中に仕事を片付けた暑い午後には川に泳ぎに行ったり、8日には乗鞍高原に権兵衛トンネルを
使って下道で出かけたりと疲れがピークに達しつつあるも子供達に夏休みらしいことはできたかなあと思っている。

14日に妻の手術があり、腹腔鏡手術に実績のある病院で行ったので心配はしていなかったが、やはり手術が
終わるまでは落ち着かなかった。全身麻酔から覚めた妻を見てホッとした。15日に退院できる日帰り手術を実践
している病院だったので翌日には退院。開腹手術ではないので表面的な傷は小さいがお腹の中は傷ついている
のだから無理はしないようにと念を押されたようだ。

正直言ってここ数年来妻の体調は良くなく、今年は年初から特に良くなかった。妻が寝込んでしまい、子供を抱えて
身動きとれず、ジリジリして焦燥感で落ち着かない日も多かった。よそから入ってきたIターン者には家族の病気と
いうのが一番きつい。幸い今年は妙に僕の体調がよかったのでなんとか乗り切ってきた。

これをきっかけに妻の体調も快方に向かっていくことを願っている。それにしても、子供達にはいろいろと我慢して
もらったし、手伝ってもらったし本当に感謝している。

実家にいる一週間は、おばあちゃんに映画に連れていってもらったり、富津のジャンボプールに行ったり(日焼けが
すごいことに。。。)して、満足してくれたようだ。

でも、我々大人はやはりこちらに帰ってきて、緑の多さ、山が見える風景にほっと安堵を感じずにはいられなかった。
なにより、クーラーを使わずに朝までぐっすり眠れることが嬉しかった。やっぱり長野県は最高にいいところだなあと
改めて思う。
こちらに帰ってきてブドウ、りんごとすぐに防除を行って、徐々に朝方生活に体を戻しているところである。。。


遊んでばっかりみたいだが、そんなことないんすよ(汗)。でも、こどもが夏休みの間は極力遊ぼうとは心がけています。

ブドウのほうは左の写真のようににいよいよ色づいてきて収穫間近となってきました。(撮影のため一時袋から
出してあります)(8月22日)
技術の無さを地力によって補ってもらっているような、ブドウに僕が助けてもらって栽培してきた感があります。
肥料は葉面散布でミネラル、リン酸、カリ成分等をごく薄く補充していますが、地面からは全く与えていません。
過去の地面内で成熟している有機質のみでブドウの樹自身がやりくりしています。
それだけブドウ自身が頑張って根を張りめぐらし、栄養分を自分でかき集めて房を大きくした、
いわば甘やかされていないブドウであるといえると思います。

7月から袋がけされており完熟までずっと袋の中で栽培されておりますので、農薬等の残留も心配ありません。
僕は巨峰は皮を剥いて食べるより、皮ごと口の中に入れて口の中で果肉を搾り出すようにして食べたほうが
おいしいと思います。皮の極裏側に甘くておいしい部分があるので皮を剥いてしまうとその部分までなくなって
しまいもったいないからです。

近日中に、ブドウ販売ページをUPしますので、ご購入ご希望の方はそちらをご覧ください。
「りんごの里親制度」お申し込みの里親のみなさまには感謝の気持ちをこめて当初予定よりもっと多めにお届け
する大判振る舞いを決意しております。ご期待ください。


ポールの打ち込みで
手首が腱鞘炎みたいに
なってしまいました。
(8/5)


ブドウは袋の数で
直房数を管理できるから
その点は分かりやすい
(8/2)
8月7日(火)
暑い夏が続いています。7月30日にまとまった雨が降ってから、その後十分な降水がない。ここらで
しっかりとした雨が降ってほしいところである。昨日も、午後雷がゴロゴロと鳴りだしたので「これは降るか」
とちょっと期待したのだが、飯田方面では降ったようだが豊丘村ではパラパラと降って終わり。
豊丘村は地形の影響か雨雲に避けられてしまって、その北側か南側で降ってお終いというパターンが結構ある
ような気がする。冬はそのおかげで大雪が無いので助かるのだけれども。。。

そろそろ、ブドウとりんごのかん水の実施を考え始めなきゃいけないのかもしれない。

りんごの作業はこのところの作業は草刈が主な仕事。それと、昨年末新植して、中生種のりんごを接いだ畑は
鹿の侵入がすごくて大変なことになっていたが、ブドウから離れられなくて手の施しようがなかったが、一家総出で
8月4日、5日の2日がかりかけて畑をグルッと鹿避けネットで囲んだ。

鹿はりんごの若葉が好きなのだろうか。好んで食べていく。葉っぱを食べられるのも困るが、一番困るのは
新梢をボキボキ折っていってしまうことだ。今年、接木が成功して伸びてくれた枝が8割がた折られてしまった。

とにかく、今年は接いだ枝がくっついてくれれば良しということにして、来年からやり直しだ。

左のブドウの写真は、ブドウが高温で焼けないために新聞紙で傘を作ってかけていったところ。
あと、よく玉ねぎなんかが入っているネットをブドウにかけていくことで、害獣からの被害も避けられるということで
このネットも一房ずつかけていきます。結局ブドウは全部で3,800房畑になっています。10アールあたりの
基準着果量が3,800房と指導されていますが、畑の面積は10アール以上あると思うので少し余裕を持った
着果ということになればいいと思っている。


夏休みに入ってからも農作業が押し気味で、全然子どもたちのために時間をとってやれなかったが、昨日位から
午後は遊ぼうかという気持ちになれるくらいの畑状態になってきた。とりゃおは「夏休みになったらあれもしたい、
これもしたい」と思って今まで我慢してきたところが夏休みに入っても、全然遊べず、こき使われるのみで
「僕、夏休みの無駄遣いをしてるね」と妻にポツネンと訴えたらしい。
ようやく子供達が楽しい夏休みを過ごせそうな雰囲気になってきた。
7月21日(土)
19日からブドウの袋がけを開始した。用意した袋は3,200枚。一房ずつ丁寧にかけていく。
今年はブドウ栽培一年目なのでぱっと畑を見渡して、適正な着房量なのか自信が持てない。
一応、薄めにならしたつもりのなのだがどうなるか。
ブドウは袋をかけることにより、雨に濡れないので病気予防になるし、害虫予防にもなる。
更に防除したときに薬剤のかかりがないので、収穫後の農薬の残効の点でも安心である。

本日はとりゃおが、午後袋がけを手伝ってくれたので大いに助かった。こうやって家族みんなで力を
あわせておいしいブドウが採れれば最高なのだが。。。どうなるか。。。


左上写真(7月20日) 袋掛けする妻と遊んでるあーこ このあと踏み台から転げ落ちた。。。
                                  それでも懲りずにまた登る。
左下写真(7月21日) 袋掛けするとりゃお 急がなくていいから丁寧にという言いつけをよく守ってくれました。
                           今日、ブドウ畑まわりの雑木林にカブトムシ、クワガタ捕獲用の
                           ワナをセット。明日かかってるといいね。

ブドウ畑に差し込む朝日。

ブドウの粒の大きさは
5円玉よりやや小さいくらい。
なぜ5円玉か。ご縁が
あるよーに。
7月17日(月)
台風一過でもしかして梅雨明けなのかなと思っていたが、そうでもなく朝方結構しっかりと雨が降った。
ブドウを13日に防除したのだがその後200ミリ以上雨が降っているので、早めなのだが防除をもう一回しなければなあ
と思っていた矢先なのでしまった。。。という感じ。
ブドウは6月に房作りをはじめそろそろ摘粒といってブドウの粒を35粒程度に揃えていく作業が終わろうとしているが
良い房がつく確率が高い枝を今年は見極めるのにはっきりといって失敗した。

加えて言うならばそういった枝作りから意識していかねばならないのだろうが、やはり実際に実がついて、「こういう
枝にはこういう実がなるのだなあ」と実感してみないと(とういうか痛い目にあわないと)分からない。

先日の長野県北部の地震の時、僕はブドウ畑で働いていたのだが、その地震の直前キジが「クウェー、クウェー」と
キジらしくない声でなにやら騒ぎまくっていたので「なーに変な声で騒いでんだろ?」と思ったその瞬間ズーンと来た。
こちらの震度は震度4か3位のものではあったが、突き上げるようなちょっとびっくりするくらいの揺れ方であった。

今思えば、キジは地震の前兆を感じ取って鳴いていたわけであり、野生動物の能力は本当にすごいんだなあとびっくり
した。今度、引っ越す家はお世辞にも地震に強そうとは言えない家なので(筋違ゼロ)、キジなどがあんな感じで
騒ぎ出したらすぐに外に逃げようとマジで思った。


6月12日

ブドウ畑でのもも次郎。
ももはブドウ畑が実は
あまり好きではない。

なぜならでっかい蜂が
飛んでいたり、大きな
コガネムシが落っこちて
きたり彼にとって気の休まる
場所ではないからだ。

それでも、けなげに
静かに待っている。


6月15日
ブドウ畑にて房作りを
しているときのあーこ。

ブドウ畑の後ろに
草ぼうぼうのりんご
苗木畑が見えている。

根を詰めた作業の合間
あーこがチョロチョロしている
のを眺めていると心が
本当に慰められる。
7月14日(土)
今日、4月末以来久しぶりに休みとした。台風4号の影響で今日、明日と雨降りの様子。昨日までは雨降りでも
合羽を着て仕事は行っていたが、自分の疲労、家族の疲労を考慮した。特に子供たちにはずーーっとまったく
なーんにも楽しいことが4月末から今日まで皆無だったので、今日、明日は子供達とパンを作ったり、相撲をとったり、
将棋を指したり、床屋に行ったりしようと思った。今年はブドウ畑を本格的に引き継ぎ、りんごの作業と組み合わせて
回してきたがはっきり言って、全然回せているとはいえない状態で常に色々な農作業に追われ続けて気の休まる暇も
なかった。

それは、ブドウ畑が1年目でその畑の性質をつかんでいなかったという事もあるし、そもそもブドウという果樹の性格も
まだまだ掴めていない。更に昨年末にりんごの中生種の苗木を植えた畑に鹿の侵入がすごかったこともあり、
そのことも憂鬱に拍車をかけた。あーどしよ。

草刈の面積も昨年より35アール程増えたところに、草刈機の不調も重なり、余裕を持って雑草に対処できなかった。
僕は除草剤を使わないので、ものすごいペースで生い茂る雑草をどう抑えていくか今年かなり苦しめられたのですでに
来年のことを考え始めている。あーどしよ。

そんな中でも、僕の体調は豊丘村に来て4年目の今年一番良い状態をキープし続けていて、我ながらたたかう気持ちが
強くなったと思うし、体調管理もうまく出来ていると思う。

6月17日以降の作業概要はこんな感じだった。
6月11日から6月21日までブドウの房作り。その間、ブドウの防除が1回。この作業は短期決戦の作業なので
自分でもかなり根を詰めてやったのだが、結果として終わらせなければならない期間を2,3日オーバーしてしまった。
この影響はブドウの収穫量の1、2割ほどに影響してくるであろうか。
この作業は、りんごの収穫並みに気合を入れて、最初から最後までかなり無理をして進めなければならない作業だ
ということが分かった。

19、20日はそのブドウ房作りの合間をぬってりんご畑の草刈。周りの農家さんから雑草なんとかしろというクレームが
はいったので仕方なく、草刈。この草刈のタイミングも来年は5月末から6月頭にかけて一回徹底的に刈ってしまって
6月下旬まで持たせる様にしなければならないだろう。

6月22日から30日までは草刈と、ほったらかしてあったりんごの仕上げ摘果を行う。23、24日にりんごの防除。
24日はブドウも防除。7月1日から5日までブドウの摘房とりんごの仕上げ摘果を組み合わせて進めていく。
その間、4日にブドウの防除。5日はりんごにハダニが目立ってきたので片栗粉と牛乳でハダニ対策の防除。
ところがこれが全然効かなかった。昨年もこれでハダニが減ったような気がしたのだがどうやら天敵のカブリダニ
のおかげで減っていたようだ。水に溶けた片栗粉は重いのでボタボタ葉から垂れてしまう。

仕方がないので6日にもう一回やり直すことにした。りんごの防除は朝3時30分ころから開始するので、これをもう1回
やり直しするのは精神的にも肉体的にもかなり応えるが、直後にボルドーといって石灰を使った防除を行う予定
なのでその前にどうしてもハダニの密度を低く抑えておく必要がある(ボルドーは非常に殺菌効果が高く雨降りにも
強いのだが、その反面ハダニが増殖しやすくなる一面がある)。

6日に今度は片栗粉と展着剤のスカッシュを散布。今度はボタボタ垂れなかった。スカッシュ自体も皮膜を作って
ハダニの気門を塞ぎ窒息死させる効果があるのでハダニには効果がある(ちょっと値段が高いが。。。)。

6日からブドウの摘粒作業を本格的に開始。本当ならもう少し早く開始してもいいところだが。。。
7日、8日でりんごにボルドー散布。10日から雨降りが続いているのでタイミングとしてはいいところで打てた。

その後摘粒は今現在も続いている。10日から空梅雨気味だった信州にも雨雲がやってきて連日雨だったが
仕事は続けた。

7月13日に下伊那農業改良普及センターよりFAXが届く。今年もハダニの発生消長を僕の畑で調査している。
その結果、ハダニはもちろんいるのだが、その数は昨年の同時期に比べて10分の1以下に減っている。
そして天敵のカブリダニに関しては昨年はほとんどいない状態だったのだが今年はすでに結構発生していて
ハダニとの比率は10対1程度で存在している。昨年は同時期で300対1位しか存在していなかった。

今年はハダニが去年よりは少ないと思ってはいたが、実際にデータとしても裏付けられた。

すなわちカブリダニが1頭あたり10頭のハダニを捕食してくれればハダニの増殖はかなり抑えられることに
なるはずでかなり今後の展開が面白くなってきた。殺ダニ剤は使用しないでもりんご栽培は出来るのではないか
という希望がすこーし見えてきたような気がしないこともない。


ブドウ畑にあがっていく
道端に「ホタルブクロ」が
咲いている。

昔の子供達はこの花に
ホタルをいれて提灯のように
して遊んだのだなあと
思いをはせる。

他の雑草と一緒に刈ってしま
わずにこの花を残してくれた

近隣の方たちの風情に
感動した。
6月17日(日)
本当に、毎日が矢の様に過ぎていく。今年はここ豊丘村に移住してきて4年目だが、一番タイトで自分自身の
能力の限界はどこなのか見極めるような5月、6月が続いている。
今年からブドウを本格的に始めたのだが、効率的な時間配分、労働配分がつかめず四苦八苦している。
結果としてりんごのほうにしわ寄せが行ってしまい、今畑は雑草ぼうぼうでまるで放置園かというありさま。
周りの人たちにはさぞうっとおしがられているのであろう。もう少しだけ待って欲しい。
あと少しでブドウが一段落つくから。

ここにきて、1月から3月までの農閑期に5月、6月の超多忙な農繁期を少しでも効率的にのりきるための下準備を
しておくことがいかに大事なことか身に染みて思い知る。
というか、このところ身に染みて分かる事ばかり多い。それが自由と独立を謳歌するということと同義なのであろう。

最近は、今日が何日で何曜日なのか分からなくなってきた。
電話が鳴ってもいないのに電話の音が聞こえた気がしてハッとしたり、
夜中に雨音が聞こえて窓から空を見ると晴れていたり。。。
俺、疲れてるのかなあ。確かに休みらしい休みは約2ヶ月とっていないからさすがに自分でもまずいとは思うのだが、
この時期の仕事は一日でも速く終わらせるのが良とされる仕事ばかりなので、多少体調が優れなくても
どうしても畑に行きたくなる。

今のこころの安寧は毎日のわずかな読書。今ワイルダーの「長い冬」を読んでいる。(トイレで)
彼らの生きざまが今から考えればとてつもないことなのにそれを当たり前のこととして生きているその情景が
俺には感動的で、それと同時に自分はまだまだだなあと痛み恥じ入る。

3人でちらし寿司を作りまし
た。にぎやかな晩御飯でし
た。

焼きあがったおやきを早速
ほおばる。
おいしいものを食べてる時の
笑顔はほんといい顔だと
思います。
6月9日(土)
5月中は中学生が5組。それ以外にも摘果の手伝いに来てくれた家族等が数組ということで、慌しい日々が
過ぎていきました。6月に入ってからも2組の中学生が農業体験に訪れ、我が家としては5月にかなり無理して
飛ばしてきたこともあり、6月は段々と疲れがたまってきて体調を維持することが重大事となってきました。

5月29、30日は横須賀から元気な女の子3人組が我が家にやってきました。
この3人にはうちの子供たちもかなりなついてました。彼女たちが帰る際には本当に名残り惜しい気持ちで
いっぱいでした。

最初はおっかなびっくりだったけ
れども、やがて笑顔で仕事をこ
なしてくれました。3人の明るい
笑い声を聞きながら仕事をする
のは僕たちも気持ちの良いもの
でした。
我が家では基本的に中学生にご
飯を作ってもらいます。

よその家でご飯を作るということ
は普段自分の家である程度やっ
ていないと出来ません。

3人とも立派にできました。
夜はたっぷりと「かごめかごめ」
で遊んでくれた。一番喜んだの
はあーこ。

我が家の子供達の弾むような
足取りを見てください。

あーこは舌ったらずで「かめか
め」
2日目の午後は雨降りのため
とりゃおも加わりおやき作り。
みんなで楽しく作ったものを頂くと
いうのは、とても仲良しになれる
有効な手段だと思います。

この3人もそうですが、訪れた中学生たちにまたいつか再会できたらいいのになと思います。

和気あいあいとおやき
作り。楽しかったほたひ。

2人にまとわりつく
あーこ2人の間で
行ったり来たり。
5月28日(月)
怒涛の5月が続いています。5月は計算すると二日のうち一日は家族以外の誰かが家に滞在している状態です。
25日、26日は神戸から元気でかつ子供達をとても可愛がってくれる中学生の女の子2人が農業体験にやってきて
くれました。

ところがあいにく25日は朝から本降りの雨。一日中やみそうもないので何をやってもらおうかと思いましたが、
親切な方が先日クルミを大量に下さったので、これで「クルミあんおやき」を作ろうと決定しました。

おやき自体は何回も作っているので、種とかの心配はないのですが、クルミあんは初めてなので一発勝負で
行いました。その結果、結構味噌とゴマが強めのあんになってしまい、おやきというよりは中華菓子のゲッペイ
みたいな濃厚かつ重たいおやきとなりました。むしろ、焼きたてより冷めてからのほうがおいしかったです。

さて、中学生2人。とても我が家の子供達を可愛がってくれ、3人ともかなりなついてました。特にあーこはかなり
まとわりついてました。我が家の子供達は5月はまったく土日もなく、どこにも出かけないし、こうやって中学生たちに
遊んでもらえるのが唯一の慰めかもしれません。
雄大な景色に大喜び。 暑い中の摘果ご苦労さん
でした。ほんとまじめにやってく
れました。
かごめかごめで遊ぶ5人。
子供達の至福のひと時。
はないちもんめでも遊ぶ。
俺も小学生のころやったなあと
懐かしくなりました。

2日目は前日とは打って変わって初夏の陽気。摘果に精を出してもらいました。ひとしき働いてもらって
その後は子供達と遊んでもらう。あーこは「かごめかごめ」が大好きで家でも「かめかめ」いってまわっています。
子供達にすてきな思い出を残してくれた2人に感謝です。ありがとう。

昨年暮れに赤ちゃんが
生まれたので妹は
赤ん坊をあやしながら
摘果してくれました。

晩御飯は掘ってきた筍を
使って早速筍寿司。
最高においしかったです。

摘果もしっかりと
やっていってくれました。

テントウムシの産卵に
立会い(?)ました。
5月24日(木)
あー、だいぶ更新が滞りました。いろいろとありまして、更新の余裕なく夜バタッと寝ておりました。
昔から不思議なもので忙しい時に限って、次々とあらたな用事とかが生まれ出てくるのはなぜなのでしょうか。

5月15日、16日と毎年摘果を手伝ってもらっている、妹夫婦が妙高からやってきてくれた。
とにかく摘果は地道な作業なので、手伝ってもらえることはこれ幸甚の極み。一日も早く一輪摘果を終わらせることが
来年の安定した収穫につながってくるので、久しぶりの再会にもかかわらず「おらおら、働け〜」とばかり
ひたすら摘果してもらった。

5月17日は朝から雨が降ったり、やんだり。ときおり雷もゴロゴロなったかと思うと日が差してきたりして、
まるで、南国のスコールのような感じであった。雨合羽を着てそれでも摘果をやっていた。
昼前に、飯田市役所の農政課の方が新規就農希望の方と一緒に僕の畑に来てくれたのだが、しばらくして
ものすごい雷雨になったその刹那雹(ヒョウ)がバラバラと降ってきたので、胃が口から飛び出さんばかりに
驚いた。雹の直撃をりんごの実が受け続けると傷果ばかりになってしまい、売り物にならなくなってしまう。
豊丘村は雹なんかふったこともなかったので、「降るわけない」とタカをくくっていたのだ。

時間にして10秒であろうか、20秒であろうか、そんなに長い時間ではなかったが、感覚的にはものすごく長い時間
雹が降っていた感じがした。いまのところ、雹による傷はおそらくないようです。

5月18日、19日と元気な中学生4人組が我が家にやってきました。今度は神戸の女の子たちでした。
筍シーズンも終わりに近づいていたが、まずみんなで晩御飯の材料となる筍を掘りに行った。「掘れないと
晩飯のおかずないよ」とかいいながら、竹林に踏み込んでいくと「え〜、ここ行くんですか〜?」(顔に縦線シャー)と
のっけから都会っ子の反応が返ってきた。昼でも薄暗い竹林での作業を嫌がるかなと思ったが、
ところがどっこい筍を見つけたとたんいきいきと掘りだしたのでなかなか生命力があるではないかと見直した。

筍を掘りあて最高の
笑顔です。
とはいっても、やっぱり虫が
いるとものすごいスピードで
竹林から逃げ出してきた。
牛になめてもらい喜ぶ2人。
牛を目の前で見たことは初めて
という子は結構多い。
四ツ葉のクローバーを探す。
我が家の圃場は四ツ葉のクローバーが
とんでもない確率で存在するので
「奇跡の畑」と呼んで欲しい。

ただひたすらに掘り続け
のみ。もも次郎が竹の子の
場所を嗅ぎつけました
(ウソ)。

もちろんこんなでかいのは食
べれませんが。。。

それでも掘りたいんもんなん
ですねえ。

竹の子寿司。うまいっ。
ぺろっとなくなりました。
5月13日(日)
気が付けば、5月も中旬。摘花から始まって今ではすっかり摘果作業の毎日です。
5月に入っていろいろなことがありました。基本的には摘花、摘果作業なのですがりんごの里親様がたずねて
きてくれたり、富士市から中学生が勤労体験学習に訪れてくれたりと忙しくも、楽しい日が続きました。
だいぶ疲れがたまってきましたが、まだまだこれからが勝負です。

5月8日から10日まで中学生の受け入れを行いました。昨年も男の子3人来てくれて、2拍3日で仕事をしていって
くれたのですがそのときはちょうど中日が一日中強い雨で彼らも大変な経験をしていきましたが、今年は
3日間ともずーっといい天気でした。

今年はもちろん摘果もしっかりとやってもらいましたが、新しい試みとして竹の子掘りもやってもらいました。
男の子ってなんで、掘リ物系が好きなんでしょうか。とりゃおも目の色を変えて竹の子を掘っていましたが
彼らもかなり熱心に興じておりました。

最初はもちろん食べられるやつを掘ってたのですが、だんだんと興味は竹の子としては大きくなりすぎてしまった
ものへ。。。やはり釣りと一緒で大物へのあこがれがあるんでしょうか。

彼らが掘った筍で夕飯は竹の子寿司を作りました。朝ごはんは竹の子の炊き込みご飯。まさに竹の子三昧。
堀りたての竹の子をすぐに茹でてその風味を堪能しました。
天竜川河川敷にも散歩に
行きました。どうしても、石が
投げたくなる。
仕事だってちゃんとやりました。
でも、メインは竹の子かな、
やっぱ。
畑にはキノコだってたくさん
生えちゃいました。
牛と記念撮影もしちゃいました。
牛の舌ってとてもザラザラ
しています。

りんごの花と中央アルプス
(4/29)

たまには家族全員で撮って
みました。
ご覧のとおりすっかり夏の
いでたちです。(4/30)
4月30日(月)
しかしまあ、今日は暑かった。日本全国暑かったようだが豊丘村も初夏の陽気で、だいぶ日に焼けました。
昨日、今日と暑い日が2日続いてりんごの花も場所によっては満開といえるところも出てきた。
28日からの3連休、巷はG・Wの始まりだがりんご農家にとっては摘花の最盛期に突入の時期なのだ。

ところで、今年は開花が早いので満開も当然早いだろうと思っていたところが、4月後半は案外に低温傾向で
花が咲いてから満開になるまでに結構な日数を費やしている。そして花が咲くのが早かった分凍霜害の
心配もしなくてはならず、この一週間ほど気の休まる夜がなかった。ほぼ毎晩霜注意報が出ている状態であった。

豊丘村ではリアルタイムで温度等の気象情報を知らせてくれる体制があるのだが、そのデータと僕の畑の実際の気温
とは違いがあるので、その誤差を知っておこうと4月の中旬に一度朝5時の段階の気温で比較してみた。
そのときはデータで3度、畑で零度強であったから実際はだいたい2度〜3度ほどは畑では冷え込みが厳しいと
いうことが分かった。

りんごは開花から受粉までの間、氷点下2.2度くらいの低温に30分以上さらされると凍霜害の被害が出るのだ
そうだ。したがって、豊丘村の提供データで零度付近まで気温が下がるとヤバイということになる。

それで霜注意報が連日出ていたこの数日間、データを見守っていたところ最低気温はなんとか4度、5度程度で
切り抜けてきた。しかし、27日の夜が冷えた。一般論として18時の気温が10度以下だと翌朝霜が降りる確立が
高くなるそうなのだが、27日は18時の段階で9度を下回っていた。「これはヤバイかな」と緊張していたところ、
22時ころ3度強まで冷え込んできたのでこの調子で気温が下がり続けると危険だと感じ、目覚ましを3時にセット
してとりあえず仮眠。3時に起きて気温データをチェックしたところ1度を切る感じだったので、畑に上がることにした。

とりあえず、凍霜害の被害が出そうだったら燃やそうと思って、りんごの剪定枝の細い束は畑に残しておいたので、
これを圃場内で燃やすことにした。ボロ布に灯油を染みこませ焚き付けにして、枝を燃やしていく。圃場内十数箇所
でこれを繰り返す。火を燃やす前、圃場の気温は氷点下2度だった。その後も氷点下2度は下回らなかったがそれが
火を燃やした効果かどうかは分からない。とりあえず、圃場内の開花の進行の早いところは摘花も結構進めていた
ので残している中心花がだめになると実が全くなくなってしまうのでそのあたりで重点的に火を焚いた。

5時すぎまで火を燃やし続け、日の出を拝むと今までまっすぐ上に立ち上がっていた煙が急に西方向に流れ出す。
空気が動き出したのを感じた。地面は真っ白な霜が一面を覆っていたが、陽のぬくもりで徐々に融けていった。

とにかく、火を燃やすということの段取りについてこれで改善すべき点など分かったので、今回僕の行動が霜対策と
して必要があったかどうかは分からないけれども、今後りんご栽培を続けていく上でやっといてよかったという時も
来るかもしれないので必要がないとしても反復していくしかない。

4月20日のりんごの花

つぼみの時にヒヨドリに
食害を受けるとこうなります。
4月25日(水)
りんごの花はだいぶ咲いているが、このところ肌寒い感じの日が多かったので開花の進行はゆるやかな
印象を受ける。

昨日は今年2回目の防除。朝3時30分に目覚ましをかけておいたが、ちょっと寝坊。4時ちょい前に起きて、朝飯の
食パンを一枚ボソボソと食べ、家族を起こさない様にそーっと外に出る。4時30分に畑に上がるがすでに薄明るくなり
始めていた。畑の真ん中を猫がとことこと歩いていく。この猫は果樹団地に住んでいるノラ猫であろうか。よく畑の中の
道をとことこと歩いている。たまには畑の中でじっとしている時もあり、ネズミでも待ち伏せしているのかもとも思う。
ネズミといえば、今日軽トラの前をネズミが走っていった。とても小さい野ねずみが圃場の草刈で巣穴を追い出されて
移動中のところを僕の軽トラに遭遇したか。

ここ数日はずっと圃場の草刈。今年は、摘花開始と同時に他のことには目もくれずひたすら摘花だけを行うつもり
なので、とにかく草刈をひととおりしておいて、あとはできるだけ伸びた草は見ないようにして摘花、摘果を行う
のだ。先日里親のみなさんには里親通信でお知らせしたのだが、今年の花芽は隔年結果で昨年より非常に
減らしてしまった。収穫量はおそらく昨年を下回るであろう。

昨年の摘果終了が遅かったので、結果として樹を疲弊させてしまったのだと思う。昨年もがんばって摘花、摘果を
行ったつもりではあったが、まだまだ認識が足りないということ。

こんなとき「大草原の小さな家」シリーズの「プラムクリークのほとりで」にでてくるローラのお父さんが春になり
小麦を少しでも広く播種するために畑を朝から晩まで耕し続け、口をきくことも出来ないくらいに疲れ果て家に
帰ってくるとすぐに倒れて眠ってしまうというくだりを思い出す。
それくらいの覚悟と行動が摘花の時期には必要だったのだと今は覚悟を決めている。

この時期あちこちできれいな
桃の花が見られます。

タラの芽。おいしいですよね。

4月9日の花芽。

4月11日の花芽。
4月14日(土)

本日は、久しぶりに古民家修復へ。本来なら3月中に結構修繕を進めるはずだったのだが、僕を除く家族全員
インフルエンザにみまわれたことなどもあり、全然予定通り進まなかった。まあ、予定通り進まないだろうと思っては
いたからそういう意味では予定通りと言えなくもない。

トタン板の重なり部分から水を吸い込んで雨漏りしていると思われるため、コーキング材で地道に埋める仕事が
本日行った仕事の内容。4月の日差しとはいえトタンの上は日差しの跳ね返りがきつく、フライパンの上の
目玉焼きの気分。もっと寒い時期にやっておけば。。。と後悔する。

15時過ぎに仕事が終わったので、近くの町の千人塚公園というところに桜を見に行ったが、まだ5分咲きくらい
だった。豊丘村ではもう葉桜になりつつある。
この千人塚公園も思い出の場所で、子供がとりゃおだけのとき、ほたひも加わって、と過去2回足を運んでいたが
あーこがも連れて3人でという流れでノスタルジーに浸りながら、時の流れをかみしめられるところに出かけるのが
結構好きです。

12日、13日と今年一回目のりんごの防除。春は朝起きるのが辛い。

ところで何日か前に僕の畑のすぐ近くのおじいさんに早い話が「おまえのりんごのつくりかたはまちがっとる」と
言われてしまった。
確かにまちがってるところも多々あるかもしれないがが、まあ大目に見てくださいというところ。
もののやり方に定石はあるかもしれないが、それが必ずしもたった一つのやりかたというわけではない。
自分で失敗しながらでもいいから確かめてみないと納得できないことも多々ある。
もちろん先人の知恵はほとんどの場合素直に受けいれているのだが、譲れないところは絶対に譲る気はない。

就農したてのころは、結構先輩農家の方に言われることを、いちいち重く受け止めて悩んだり神経過敏になったり
していた時期もあった。確かに人に迷惑をかけてはもちろんいけないが、その範囲内であれば農業という
職業がかなり自律的な職業である以上、精神的に常に健全な状態でいることがものすごく重要である。
そうでないと自分がこうありたいと思っているように自分を動かすことができなくなる。

そのことが一番重要かなと昨年くらいから段々分かってきた。義務的にではなく、他律的にではなく、
あくまでも自発的に、自律的に、楽しくそれでいてストイックな気持ちも忘れずにやっていくつもりです。



りんごの花芽の状態は進捗が少し早い花芽が目につくので、それを写真に撮ってしまいがちなので
実際にはもう少し進捗が進んでいない状態であるというのが本当のところです。

とりゃおの指導の下
ほたひが畝をたてていく。
彼らは自分専用畝を
作っていました。

カツを揚げるとりゃお

カツを返すとりゃお

よし、これからは
カツ丼はお前が作れ。
おっとうはカツ丼引退。
4月10日(火)
ここのところ晴天が続いている。一時期黄砂がひどい日が数日続いたがこのところは黄砂も観測されておらず
平穏な日中を送ることができる。

昨日、今日と接木をこつこつと続けている。そろそろ古民家修理のほうに戻りたいので、そろそろ終了する予定。
今日も晴れてはいるのだが、風が結構冷たく感じる。夕方などは、寒いくらいに感じる。

昨晩、「壬生義士伝」を偶然見た。偶然というのは、普段テレビは全く見ないのだが、あーこの歯磨きをしている
ときはあーこの気をそらせるため、ビデオを見させながら磨いている(もっとも途中であきてきて毎回「あーこ、
じっとしておれ、ばかたれ」となるのだが。。。)。

ビデオを消したら、画面に岩手山が映っていた。「おー、岩手山だー」
とすぐに分かった。僕は幼少時代9年間盛岡に住んでいたので、毎日岩手山を眺めて暮らしていた。幼少時の
すりこみというのは恐ろしいもので、20年以上たった今でもすぐに見分けがついた。

恥ずかしながら、今まで全然知らない映画でした。2003年の映画ということでそのころ、会社を辞めようとし、
長野に移ろうと模索していたころなのでそういうのに全然縁がなかった(つーか福島のどど田舎に住んでいたので
映画館がなかった)。

それにしても、やっぱり俺の中では盛岡というのは特別なところなんだなあというのを再確認した。盛岡の
人間の話ということだけで、感情が自分のコントロール下から外れた。涙がとまらなかった。「南部の誉れ」という
言葉が頭に焼きついた(つーか、見てない人には全く分からない話ですいません)。

今では、盛岡は僕にとって実家もないし、親戚もいないし、遠いところにある場所だが、思い返せば子供のころから
俺は盛岡出身ということをある意味誇りにしてきたし、これからもそうなんだろうと思う。

主人公の吉村(中井貴一)が死を目前にして「盛岡にかえりて」と言ったが、大きくなって遠くにいってしまうかも
しれない僕の子供達にそう思ってもらえるような田舎に豊丘村、そして僕と妻が守る家ががなれればいいと思った。

4月8日(日)
今日は、遅ればせながら家の裏の畑をおこした。午前中いっぱいかけて、とりゃお、ほたひとともに畑に堆肥を
入れていく。この堆肥は昨年一年間の我が家の生ゴミ。でっかい蛆虫とかいてちょっと気持ち悪いんだけどね。

でも、生ゴミがまた土に還っていくというのはなんかありがたいですね。あーこがぶちまけたご飯とかも「あ〜っ、
こ、米が。。。この、あくま〜っ」というところを「ふっ、また、土に還るだけよ。。。」てな風に悟ったふりして流すことも
できなくもないですから。でも、やっぱり腹立ちますけど。

午後は、子供達とマフィンを作って、さらにとりゃおにはカツ丼つくりを教えた。今年もそろそろ中学生受け入れの
季節、カツ丼の季節がやってくるつーことで予行演習。







畑のすぐそばにある桜の木。
実際は中央アルプスのほうが
ずっと大きく見えるんだけど写
真で撮ると小さく見えますな
あ。


朝のりんご畑
4月7日(土)
今日は今年1回目のブドウの防除を行った。カミキリムシの幼虫などがブドウの枝の中に入り込み、形成層をグルッと
食べてしまい、結果ブドウの木が枯れてしまうこともある。実際、昨年一本切らざるを得ないほど衰弱したブドウの木の
原因は根元に虫に入りこまれて根元をグルッとやられてしまったことにあった。今回の防除はこういった虫を駆除する
ための防除である。防除は久しぶりだから、なんとなく動きが重い。
春先はまず落ちてしまったモチベーションをいかにして上げていくかが毎年の悩み。

午後は、機械類の手入れ。昨日は動力噴霧器(略して動噴)と刈払機のオイル交換などを行った。今日は
草刈機の各種オイル交換。油差し。草を刈るための歯を研ぐ。ワイヤの張りの調整などなど。
農業を始めたてのころは機械の仕組みが全く分からなかった。よくアホな質問を日下部さんにしていたので
あきれられていたと思う。ようやっと最低限の機械のメンテナンスくらいはできるようになってきたが、ハード面の
勉強もしなければいけないなと思いながらはや3年。。。

りんごの花芽の進捗も発芽は昨年より10日くらい早かったが、このところ晴れてはいるが風が冷たかったせいか
すこし足踏みしてくれているようです。ただし、風当たりが弱く、かつ日当たりもいいところは10日程度速いペースで
進んでいます。したがって畑の中でも、あるいは一本の木の枝の中でもかなりばらつきが大きくなってきた。

もう、入学式終わったから
あと仕事がんばります。
4月5日(木)
昨日はほたひの入学式であった。ついにこの日が来てしまったかという気持ち。
はたひは早生まれのせいもあるかとは思うが、まだまだ夢の世界で生きている部分が多いと妻とも話した。
小学1年生になれば、それなりに小学1年生のあるべきところに引き上げられてしまう。それが悪いというわけでは
ないのだが、「りんごが5こありました。2こたべました。のこりはなんこでしょう。こたえ、まほうで10こにする」と
いうこたえでまだまだいて欲しかったのだ。

僕は、普段晩酌はしないのだが、4日だけは痛飲したくなり飲んだ。。。でも、家には料理酒として使っている
安いワイン位しか飲むものがなくて、あんまり美味くないからやっぱりそれほど飲めなかった。なんか、つまんない
オチだな。

ここのところ、豊丘村でも黄砂がずいぶんと飛んでいて、どんよりとした眺めが余計気持ちを重くさせていた。
でも、昨日から空もきれいに晴れわたり気持ちのいい快晴だ。りんごの花芽も早いものはつぼみがのぞいてきた。
ただし、今年は場所によって結構ばらつきがあるような気がする。防除のタイミングをどうするか頭を悩ませている。

左、4月5日の花芽。

こんな感じで束ねていきま
す。

しいせんと教え子たち

たくさんの参加者さんたち。
みんないい笑顔で聴いている
のが印象的でした。
3月31日(土)
このところの仕事はりんごの剪定枝を拾い、束ねて紐で縛っていく作業を淡々と行っている。
昨年までは枝は燃やして炭にしていたのだが、薪ストーブの薪にするため今年から保存することにした。
確かに、地面を這いつくばり、時にはりんごの幹に頭をぶつけたりしながら枝を集めていく作業はめんどくさい。
しかし、これが燃料になる、すなわち灯油の代わりになるのだと思うと、なんか嬉しい。
いつしか、「これは、灯油だ。これは、灯油だ」とつぶやきながら作業している怪しい人になってしまっていた。

この仕事も、31日に大体終了。あとは、しばった枝を集めて屋根の下にしまえばいい。
りんごの発芽もどんどん進んできていて、8割くらいの芽は発芽したであろうか。そろそろ第一回目の防除の
タイミングを睨む時期になってきた。

桜の開花も早くて、豊丘村でも早いところでは5分咲きくらいまで進んでいるであろうか。娘の入学式は
満開の桜とともにという農家としては笑えない展開になってきた。入学式の時期に桜が咲いてるなんて
関東の話のはずだと思うのだが。。。くわばら、くわばら。

31日の夜は、とりゃおの小学校の担任の「しいせん(もちろんニックネーム)こと清水先生」のライヴがあったので
家族で参加させていただいた。
朝日新聞でも取り上げられていた(もしリンク切れしてたらごめんなさい)このライヴは、清水先生が10年来の親交の
ある福祉ジャーナリストの宮脇さんという脳性マヒで重い障害をかかえてはいるが、全然くじけていない力強い詞を
創作している方と共同で行ったものだ。(宮脇さんのHP→「マナくんのホームページ」

正直にいうと我が家はとりゃおはじめ清水先生に常日頃大変お世話になっているんで、やっぱりいかなきゃなという
気持ちがないこともなかった。でも、行ってみて、そのライヴがとてもよかった。心の底から楽しめた。
ここ数日地面ばかり見ていたが、首もいい角度で上を向けて気持ちよかった。
次回のライヴにも絶対参加します!。

そして、宮脇さんの詞がよかった。僕がとても同感できたのは宮脇さんは日常生活、身近な今日、あるいは明日を
ものすごくいとおしく思っているんだなあということ。刹那的にではなく、一日一日を均等に大事にしている
ということを簡潔な調子で語っている。その想いが分かりやすい。

しいせんが歌った宮脇さんの詞。CDにもなってます。ご興味のある方はお問い合わせください。(1枚1500円)

今年から1年生のほたひ。
「どんな一年生になりたい?」
「いっぱいお手伝いする
一年生になりたい」
泣けるセリフを。。。

葉っぱがのぞいてきた。
あわわ、どうしよう。
全然、心の準備ができてな
い。
3月28日(水)
そろそろ花粉+黄砂の季節になってきた。ものすごく憂鬱な季節である。
午前中は、大幅に遅れている接木の続きを行う。本日終了したのだが、この畑はのべ2日間で終了するところ
日程的には2週間もかかってしまった。なんとか、時間をみつけてコツコツとやってきたが、うまく接げていれば
よいのだが。。。
ペースト塗りはほたひにやってもらう。この畑は鹿の侵入がものすごくて、(鹿のフンがそこらじゅうに転がっている)
うまく接げたとしても葉を食べられてしまう可能性が高い。柵をはりめぐらすのが一番いいのだがどうしようか思案中。

それにしても、暑いくらいでお隣の飯田市では桜の花が咲き始めたそうで、入学式に桜の花が咲いているなんていう
前代未聞の事態になりそうで怖い。

午後は、りんご畑で剪定枝を紐でくくってまとめる作業。やらねば、やらねばと思っていた作業だがやっと本日
とりかかることができた。りんごの花芽はすでに発芽していて、早いものは緑色の葉っぱが展開し始めている。
昨年の畑日記で確認してみると、昨年の4月5、6日ころの状態まで進んでいることになる。

僕が、豊丘村に就農してから年々早くなっていくりんごの芽吹き。来年は元に戻るだろうと毎年考えてますが
毎年裏切られ続けています。

向こう1週間はどうやらくずついた天気らしいのでなるべく進行が止まってほしいというのが切実な願いです。


とりゃおくんに手伝って
もらって助かった。

雨が降っているとはいえ
なんかいかにも
すぐに火が燃え移りそうな
雑木林だと思いませんか。

怖くて、怖くて。

なるべく火を大きくしない
ように気を使って
燃やしました。
3月25日(日)
本日は昨晩からの強い雨も朝方弱まり、延ばし延ばしになっていたブドウの剪定枝を燃やすことにした。
剪定枝の中で越冬している害虫がいるのでそれらが出てくる前に燃やしちゃわなきゃいけないのだ。

ブドウ畑のすぐそばに雑木林があり、それがまたよく燃えそうな感じの荒れ山になっているので山火事でもだしたら
大変だと思い、雨の日を待っていた。今日以前にもチャンスはあったのだが3月14日から子供2人が熱を
出してインフルエンザと診断され、その2人がよくなってきた19日ころから今度は妻と末娘のあーこが
インフルエンザになってしまい、その間なかなか身動きが取れなくなってしまった。

おまけに僕も18日の夜に突然歯が痛み出し、その晩はほとんど眠ることができず、19日に歯医者を受診。
20日の夜にもまた痛みが再発して翌21日(祝日)、飯田にある歯の救急外来に足を運び切開して膿を出して
もらい楽になったというような始末。

話は変わるが、歯の救急外来があるということもこの南信地方の住みやすさを物語るものだなあと
つくづくありがたかった。長野県はずば抜けて大きな都市はないけれど、地方都市的な町が広い県内に
適度に点在している。だから普段は村に住んでいてもちょっと車を走らせれば、そういった地方都市にすぐ出て
いけるので田舎暮らしの不便さは感じない。むしろ便利である。

こういった、南信州の暮らしやすさもいずれまとめて、Iターンを考えている方たちの参考になればとも考えています。

話は戻って14日から24日まで家族中全員げっそりつー感じで、毎年3月は家族全員具合が悪くなる
「魔の3月」という感じになってきました。来年の3月が怖い。。。

3月24日(土)は、長女ほたひの卒園式でした。直前まで卒園児のほとんどがインフルエンザに倒れてしまい、
いったいどうなるのだと心配してましたが、当日は全員揃って出席できてよかったです。
家に帰って、4月から娘が背負っていく真っ赤なランドセルを見ていたら、ものすごくさびしくなりました。。。

3月13日(火)
調子に乗って2日連続で更新です。最近、冬っぽくなって花粉症が軽くなってきたからでしょうか。
HP更新意欲が戻ってきました。
本日は、りんごの接木を行いました。しばらく接木作業が続く予定です。
おばあちゃんの樹の畑エリアのりんごの樹は昔ながらの「ふじ」の樹です。もちろん味はよいのですが
着色管理が結構気を使います。そこで若木エリアの着色がよい系統の「ふじ」の樹の枝を接ぐことにしました。
(着色がよい系統の樹を「着系」と呼びます。)
昨年のりんごの収穫時期に若木エリアの中でも着色が素晴らしく、品質も優れたものが多く収穫できる樹を確認
しておきました。
その木から継木する枝を採取しておきました。(良い遺伝子を持った枝を継ぐということ)

接木される枝のほうに切り込み
を入れます。接木する枝の(穂
といいますが)楔形に先端を加
工します。
切り込みに穂を差し込みます。こ
のときお互いの形成層がしっかり
と重なり合う事が大事です。
接合箇所を接木テープという特
殊なテープでしっかりと固定し
ます。
更に接合部分及び穂が乾燥し
ないようにビニール袋をかぶせ
口をしっかりと閉じます。

確かに面倒くさい作業なのですが、着系のりんごはほんとに着色管理が楽にできます。ですから、いま苦労しておけば
後で楽ができると自分に言い聞かせて地道に一本一本仕事をこなしていきます。
しばらくは朝から夕方までこの作業が続く予定です。


芽吹きの日を待つ
りんごの花芽。(3/12)

今年も経過観察をボチボチ
していきます。

この暖冬でりんごの花芽もい
つ芽吹けばいいのか

悩んでいると思います。

私たちりんご農家もあんまり
早く芽吹かれ花が早く咲きす
ぎることを恐れています。


なぜなら、早く咲きすぎたあと
で寒さが戻ると、せっかく咲い
た花が凍ってしまい、受粉不
良や奇形果の原因となってし
まうからです。
3月12日(月)
久しぶりの更新です。しっかりHPの更新は冬休みもらっちゃいました。トップページで「雪景色」などと
2ヶ月間もウソをつき通してしまいました。1月に雪が降って以来全然降ってません。

おかげさまで元気でやっております。ただ、今年は苦しんでいる方も多いと思いますが
僕も苦しんでいますよ。「花粉症」。2月のとある日畑に上がって「さあ、仕事はじめっか」と思ったところ
くしゃみがとまらなくなりました。眼も猛烈にかゆくなって「花粉症キター」という感じ。。。
仕事になりません。耳鼻科に行って薬を出してもらうと同時に、毎日マスクを交換して使っています。

それ以外は、今年はインフルエンザにもかからず順調です。

空白の一ヶ月間何をやっていたかというと、剪定作業が主です。今年からスキーを始めまして
数回子供達と行ったりもしました。長野県在住だとスキーに行くのも楽ですね。近くて。地元民メリットだわ。こりゃ。

木曽のとあるスキー場へ(3/3) 2人ともゴンドラに乗れたのが
嬉しかったようです。(3/3)
茹でた大豆をミンチ状に搾り出
す機械(3/4)
「なかや」の井上さんと一緒に麹を混ぜるほたひ。(3/4)

3月4日には「なかや」(リンクしてます)さんにて味噌作りをさせていただきました。作った味噌はしっかりと
持って帰ってきて味噌部屋にて寝かせております。

3/1の中央アルプス。雪がほん
とに少ないです。
ふきのとうが顔を出し始めまし
た。(3/6)
柿の木を剪定しました。
(3/6)
日は冬に逆戻り。寒い一日
でした。山は雪が降っていま
す。

(3/12)

ここのところ怖いくらいの暖かさが続いていたが、ここ数日は寒さが戻り若干「春はまだだろ」という気分にさせてくれる。
とにかく例年なら豊丘村は冬は朝方マイナス10度くらいまでいくのが普通なのに、今年はせいぜいマイナス5度程度。
冬中凍っているはずの畑の土も温んでやわらかい日が多かった。
山の積雪も少なくて雪解け水も少なくなるだろうから、動物たちの食糧供給に影響が出るのではないのだろうか。
昨年のようなヒヨドリ悪夢はもう見たくないが。。。


雨漏り部分の天井、壁、床部
分はフニャけていて
ボロボロの状態。


太い野物。一体何年間
そこに存在していたのか

ほこりを落とし、サンドペーパ
ーをかけて見栄えが良け

れば天井で隠さずに
見せることにした。
2月6日(火)
本日は午前中、柿の剪定。2本終わらせる。午後は下伊那農業改良普及センター主催の剪定講習へでかける。
暖かくどうかんがえても春だろうという陽気。本日は「シナノゴールド」はじめとする比較的新しい品種の
りんごの剪定方法について教えてもらう。今年は、僕の圃場でも「シナノゴールド」「シナノスィート」を接木して
みようと思っている。

2月5日(月)
本日は古民家の台所の天井を壊す。この部分は下屋になっていて雨漏りが何箇所か見うけられる。
明けてみて垂木が腐っていたら交換しなきゃいけない。天井を壊す前にコメリで粉塵マスクを購入。
体に有害な物質がたくさん飛び散りそうなので、結構高くてしっかりしたやつを買いました。

天井をはがしていくと、予想どおりいわゆる「野物」と呼ばれる松梁が十字にかかっていた。黒く変色していて
暖房、炊事などに薪や炭を使っていたころに煙でいぶされた状態そのまんまのようである。
雨漏りの影響は心配したほどではなく、比較的最近始まったもののようである。これなら垂木の補強無しでも
いけそうである。
それにしても、昔の家は筋違いが本当に入っていない。上から壁の中を覗いてみて筋違いを入れることが
できそうな場所には耐震性を考えできるだけ新規に入れていくことにする。
2階の外壁は土壁なので断熱のことをどうするかも考えねばならない。

2月4日(日)
古民家の庭に立派な柿の木が2本立っている。しかし、そこに合併浄化槽を新設する必要があるので
切ることにした。ということで朝からチェーンソーで玉切りしながら切っていく。切ったものは薪ストーブの
燃料として使うためにポンプ小屋の脇に積み上げていく。
9時過ぎに今回水まわりの工事をお願いする設備屋さんと現場にて打ち合わせ。とても親切なかたで
親身になって提案してくれる。本当にありがたい。
話が逸れるが、豊丘村に引っ越してきていちばん我々が運がよかったなあと思うことは「人との出会い」で
ある。ここまで、大きな障害もなくなんとか生きてこられているのも地元の方に気に留めていただき
助けてもらってきたからだと改めて日々感謝しています。

人とのいい出会いができた。この運が本当に自分でも強いと感じている。

柿の木を切り終え、午後からは屋根に登って屋根の寸法をはかる。雨漏りの補修は一応、トタンの上から
合板を貼り、そこにアスファルトルーフィングを敷き、アスファルトシングルを貼ろうと思っている。
大体修繕しようと思っている屋根面積が18坪でカインズホームで値段を調べたら材料費が10万円強
かかりそうである。

2月3日(土)
今日も、昨日に続き石垣積み。ほぼ終了。

石を取り除いたところ。

取り除かれた石。

積みなおした石垣。
2月2日(金)
今日も昨日に引き続き石垣補修。本日は家の壁際の石垣の補修。この場所は雨どいが壊れて石垣に
雨だれがあたり続け、手前に前傾してきていた。不安定な状態で今にも崩れそうな状態。

上からそっと石を取りのき始めるが、重いし、足にでも落としたら大怪我するのですぐに飛びのけられるよう
ものすごい逃げ腰でやっていたら案の定崩れた。とにかく安定している段まで石をひたすら一個ずつ
取り除いていく。

石積みのやり方は一応インターネットで調べたが、やっぱり難しい。ただ、だんだんコツがつかめてきて
当初の予定よりは早く進んだ。こうして、積んである石を移動して、積み直すだけでもヒーヒー言っているのに
これを積んだ宮島さんは斜面を削り、石を取り除き、選り分け、そして積んでいくといった作業をすべて
手作業で数十年まえに行ったのだ。

そういったことに感嘆しながら、ぎっくり腰には気をつけてゆっくりと積んでいった。

次元が違う話だが、遺跡などの石積みは100年、1000年単位で存在し続けているが、僕の石積みは
志が低くて「ゆるんだらまた積もう。。。」くらいなもんで、ほんとお気楽な石積みである。

それでも、まあなんとかほぼ終了して、スコップが置いているあたりを水まわりの配管が敷設されていく
ことになる。

石積みが終了したら、今度は雨漏りがしているので、天井を中から落として垂木を点検、補強の上、
トタンの上から構造用合板を打ちつけ、アスファルトルーフィングで防水して、屋根はアスファルトシングルを
貼っていく予定。

この畑日記もしばらくは「古民家改修日記」となります。

ぐらついていた石垣を
くずしたところ。

石垣を低くして手前にも少し
積んでさらに埋めてしまいま
す。
2月1日(木)
今日から2月ですが、曜日に関係が無い生活を送っているので今日が何曜日か分からなくなってきた。

ところで、今日から1ヶ月ほど、農作業は少し休止し、古民家の手入れのほうを優先して行っていく
ことにした。手始めに本日は家の周りの崩れた、あるいは崩れかけた石垣の修復作業に入った。

元の持ち主の方がひとつひとつ手作業で積んで行った石垣。確かにぐらついているところもあるが
数十年もたっているのを考えればしっかりしているほうである。ただ、そうはいっても、くずれてしまっては
危ないので、少し石垣の高さを落とし、支えている法面をけずって緩やかにして、更にその法面を延長して
石垣ごと埋めてしまうことにした。法面は緑化固定とでもいうのでしょうか、雑草を生やして固定するか
それとももっと効果のみこまれる植物があればそれを試すかといったところ。

一日中、石をかかえてホン投げて、積んで、スコップで土を削って、ホン投げての繰り返し。

明日からは、家の壁際の石積みの補修だが、外壁が近くまで来ているので法面は延長できないし
積みなおしするしかなさそう。

ブドウの剪定風景
この手はもちろん僕の手
です。(1/22)

(1/23)
1月26日(金)
まだまだ、ブドウの剪定中。こうやって、はさみでパチパチ枝を切っていくわけだが、中には枝の中に
害虫の幼虫が潜んでいて、ずうずうしくも越冬しようとたくらんでいる。気付けばその場で、成敗してくれるし、
気が付かなくてもブドウの枝は剪定終了後燃やしてしまうので彼らは春を迎えることはない。
ただ、残している枝に潜んでいるのも結構いるはずである。

その場で、成敗してくれたやつはブドウ棚にとまってこちらの様子をうかがっている百舌(モズ)がさっと
地面に降りて拾っていく。百舌はこの時期になると里に降りてきて畑を起こしている人のそばの木なんかに
とまっていて、ミミズなんかがでてくるとサッと降りてきて拾っていく。

もうちょっとして、百舌君が僕に慣れてくれれば写真も取れると思います。慣れてくるとかなり近くまで寄ってきます。

朝かなり湿った霧が立ち込め、更に冷え込んだ時、木の枝には霧氷ができます。
霧の水分が氷柱に付着して 凍り更に成長して霜柱みたいに立つようです。左の写真で約1センチほどの細かい
氷柱がブドウの枝の背中に乱立しています。

こんな朝は寒くて、寒くてブルブル震えながら仕事をしてます。それでも、1月中に数えるほどしかなかった
気がします。震えるほどの寒い朝は。

梢の奥には中央アルプスの南に位置する「風越山」方面が見えています。

これくらい青空が広がってくる
とだいぶ暖かい(1/19)

ブドウの指導を仰いでいる宮
島さん。倍以上年が離れてい
るがお元気で、かつその農業
理論は明確で分かりやすい。
1月20日(土)
18日からブドウの剪定を行うために作業の場をブドウ畑に移している。りんごの剪定はしばらく休止しておいて
1月中にブドウの剪定〜棚付けを終わらせる予定。

ブドウはりんごと同じくたしかに果物に分類されるが、「剪定」という同じ言葉を使う作業なのだけれども
だいぶ考え方が違うので頭をきりかえていかねばならない。
ブドウは果樹というより蔓(つる)植物であると考えたほうがいいのかもしれない。

りんごよりも繊細な考え方は必要ないが、枝の繁茂のスピードがりんごより早いので、来年、再来年のことまで
考えて、残す枝、切るべき枝を着実に判断し、切るべき枝は的確な時期に落としていくことが大事であると感じた。

足元の雪はほとんど融けてなくなってしまったが、朝方の冷え込みは11時くらいまできつくて、帽子をすっぽり
かぶって作業をしている。それでも、例年にくらべれば格段に暖かいが。。。

18日から20日まで丸3日間、このブドウ畑を僕に譲っていただいた宮島さんにみっちりとブドウの剪定技術、
理論をおしえていただいた。明日からは僕がひとりでこのブドウ畑を剪定していくわけだが、しっかり教えていた
だいたのと、もともと宮島さんの明確な理論に沿って栽培されているブドウなので、ものそごく引き継ぎやすい
状態であり、不安は無い。宮島さんに心のそこから感謝である。

先日、りんごジュースを
搾りました。

濃縮還元果汁では
なくりんごをぎゅっと
しぼった搾りたて
ジュースです。

りんごの樹の里親様
のところにはもうすぐ
お届けいたします。

販売もいたします。
容量は1リットルです。
3本 2,800円(送料込)
6本 4,800円(送料込)

1月中のご発送分は
200円引きになります。

メールにてご注文
ください。

(限定数終了しだい
販売完了いたします)
1月15日(月)
本日も剪定。この時期は毎日剪定しかやることがない。
しかし、この剪定が今年のりんごの出来を大きく左右するので気は抜けない。
今は、葉っぱも吹いてないし、もちろんりんごも着いていない。しかし、りんごが大きくなれば
当然その重みで枝が垂れてくるので、そのことも加味して樹形を整えていく。
整えるといっても、盆栽の剪定と違って形を良くするということとは異なるので、りんごの樹の樹勢を
観察しながら適度な強弱をつけて枝を切っていく。


剪定前
(1/12)

剪定後ってあんまり
変わっていないような。。。

剪定を行っていくと当然切られた枝が地面に落ちて、たまっていきます。
その枝集めをとりゃおに手伝ってもらいました。
仕事をしながら、いろいろな話をしました。今興味のあること、好きなスポーツ。その理由。。。などなど


畑の雪もだいぶ融けました。
(1/14)

自分でやると
腰が痛くなる仕事。(1/14)

張り切るとりゃお。
(1/14)


わ〜い。
今年もよろしく〜。

雪が降っても元気な2人。
1月10日(水)

今年もぼちぼち始動しています。
今年は1月6日、7日と雪になりました。畑にも雪が残っており、剪定作業中足が冷たくてしもやけ気味です。
しかし、全く雪が降らないのも気味が悪いので、雪の上で仕事ができるのは正しい冬のあり方という気がします。


雪だるまが作れるくらいの雪
が降ったのは本当に

久しぶりです。
子供達は大興奮。(1/6)


結構強烈な雪の中
どんど焼きを行ってます。
(1/7)

雪が小降りになってきたので
雪かきを始めました。
あーこは、あまり雪は
好きではないようです。(1/8)

雪かきが終わったので
ほたひと天竜川堤防に
そり遊びに出かけました。
(1/8)


りんご畑も一面真っ白になり
ました。(1/8)

剪定作業中です。
樹勢を判断して
剪定の強弱を加減します。
(1/8)

中央アルプスをりんご畑から
眺めました。この日は1日中
快晴。山の上は最高
だろうな〜。(1/9)
昨年の総括。
今年の抱負。

などはボチボチ
まとめていきます。

一度、ゆるめたエンジンは
そうすぐにはフル回転しないと
いうことで。。。